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Croquis No.28 ~希望が芽吹く時~

 春の足どりと人の心には妙に重なり合うところがあって、一歩踏み出すごとに戸惑い、次の一歩を躊躇しながらの繰り返しです。3月1日は20℃前後まで気温が上がり、春本番を思わせる麗らかな陽気でしたが、3月3日のひな祭りは冴え返り、凍えるような雨の一日となりました。昨年も、3月5日啓蟄の朝は河津桜の花びらに、前日に降った雪が残っていたことを覚えています。「啓蟄の庭とも畠ともつかず」昭和の俳人・安住敦の有名な一句です。開智所沢小学校の南側に広がる畠では今、蕗の薹がいくつも顔をのぞかせています。

 啓蟄と言っても、実際に動物や虫が冬眠から目覚めるのは、最低気温が5℃を下回らなくなってから、平均気温が10℃以上になってからなのだそうです。周期的にやってくる寒の戻りに、一度は目覚めた虫たちもその都度二度寝・三度寝を繰り返しているのかも知れません。
 2月28日(土)、開智所沢小学校ではpre-Exhibitionという学校行事が開催されました。

5、6年生にとってこのExhibitionは、これまでの探究学習の成果を発表する晴れの舞台です。詳しくは、学校ブログ「風の音づれ」Vol.147を是非ご覧頂きたく存じます。Exhibitionという行事は、それを見た大人たちの心を間違いなく揺さぶります。探究活動を通して得た知識の単なる発表会ではなく、それをもとにいかに社会に働きかけ、未来を変えていけるか、そうしたActionの大切さを子どもたち一人ひとりがしっかりと意識しているからでしょう。木々が一斉に芽吹くこの季節にこそふさわしい、学びの節目です。

 先日、あるホームの窓際に、ペットボトルに活けられた一輪の椿挿しが置かれていることに気がつきました。椿は日本原産の花木で、縄文の昔から人々の暮らしと共にあり、建物や家具・道具類の用材として、また種から採れる椿油が燃料や食用、化粧用として重宝されて来ました。江戸時代に、二代将軍秀忠がこの椿をこよなく愛したのはよく知られています。この頃には多くの園芸品種が生まれ、爆発的なブームとなって大名から庶民までが夢中になりました。かのシーボルトも、冬の寒さの中で鮮やかな花を咲かせるこの椿に注目し、「冬のバラ」としてヨーロッパに紹介したのです。「耐冬花(たいとうか)」は椿の別称です。

  3月4日、岩手県内のテレビが伝えていたのは、卒業を控えた陸前高田市の小学6年生たちが卒業を記念して椿の苗を植樹する姿でした。陸前高田市は、東日本大震災の津波によって筆舌に尽くしがたい被害を受けましたが、多くの樹木が波に倒されるなかで、椿だけは波や塩害に負けずに生き残りました。他の樹種よりもゆっくりと時間をかけて、深く地中に根を張る椿には、大災害に耐えるだけの強さがあったのですね。もともと椿は、陸前高田市と、隣の大船渡市の“市の花”と定められていましたが、東日本大震災を経て、ふるさとの復興を目指す人々の希望となり、弛まぬ努力の合い言葉としても語られるようになりました。


3月11日、東日本大震災から15年が経過します。

校長  片岡 哲郎