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Croquis No.7  ~“忘れもの”に水を

 「入道雲に乗って/夏休みはいってしまった/「サヨナラ」のかわりに/素晴らしい夕立ちをふりまいて/けさ 空はまっさお/木々の葉の一枚一枚が/あたらしい光とあいさつをかわしている/だがキミ! 夏休みよ/もう一度 戻って来ないかな/忘れものをとりにさ/迷い子のセミ/さびしそうな麦わら帽子/それから ぼくの耳に/くっついて離れない波の音」

 

(『忘れもの』 高田敏子)

 猛烈な暑さが奏でる息苦しいほどの弦の低音と、突発的な雷雨が叩きつけるように連打するティンパニやシンバルとの、嫌がらせのような奇想曲にあけくれた2024年の夏休みが終わりました。子どもたちの心に残された夏の欠片は、果たして眩しい輝きを放っているでしょうか。

夏が子どもたちの耳に残していった忘れものは、蝉しぐれと歓声と、そして波の音。高田敏子さんはそんな言葉を用いながら、この詩に糸を引くような余韻をもたらしています。私たちの世代は、その言葉に強い共感を抱きます。夏を見送るために、人影の消えた海を訪ねた経験を誰しも持っていることでしょう。しかし今や日本の夏から、その海が消えようとしています。

 1999年には100万人以上の海水浴客で賑わった三浦海岸は昨年、海水浴客が実に8万人にまで減少、今年はついに海水浴場が開設されませんでした。全国的に見ても、海水浴客はピーク時から約40年で10分の1に減少し、全国に1,353か所(1985年)あった海水浴場も、今年6月末で970か所に減っているというのです(朝日新聞デジタル 8月20日)。河川の護岸工事や砂利採取の影響で、九十九里浜や湘南海岸など、日本を代表する海岸で砂浜そのものが消滅しているという危機が叫ばれたのはもう10年以上も前のこと。今はそれに加えて、ビーチでのマナーやゴミの問題、海の家の後継者問題、さらには酷暑や日焼けを嫌う傾向も手伝って、海離れに拍車がかかっているのでしょう。子どもたちの耳には、もうすでに波の音は聞こえていないのかも知れません。

 二学期の始業式に登校する子どもたちを迎えるように、昇降口の近くで朝顔の花が乱れ咲いていました。この朝顔、実は7月に〇〇君が持ち帰らずに残していった“忘れもの”の一鉢なのだそうです。ひと夏かけて、鉢の外にのびのびと葉を広げた朝顔は、9月になってもたくさんの花を咲かせています。ただ、この“忘れもの”が枯れることなく見事に育ったのは、炎天下にポツンと残された一鉢に、そっと水遣りをしてきた誰かの思いがあったからでしょう。子どもの夢に水を遣る、ささやかな努力を積み重ねていきたいものです。

まだ夏の渇きを残している東所沢の街にも、かすかな秋の気配を呼び込んだのはこのキバナコスモスでしょうか。

気がつけば、もう東川の桜並木にも黄色い病葉が混じる頃となりました。

 

開智所沢小学校  片岡 哲郎