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Croquis No.13 ~うすらひの頃

 どこかの戸口からこぼれてくる鬼やらいの声とともに、冬の暦は幕を閉じました。首都圏では心配された雪こそ降りませんでしたが、立春を過ぎてなお、冬の残り香のような冷え込みが列島全体を包みこんでいます。

 2月5日の朝、登校途中に足を止めて、東川の水面をのぞきこむ児童生徒の姿を多く見かけました。視線の先を辿れば、どうやら川面に薄く張った氷に、季節の趣を感じていたようです。

「薄氷」と書いて「うすごおり」とか「はくひょう」と読んでももちろん正しいのですが、ここは古くからの言葉である「うすらひ」と読んで、その風情をかみしめたいところです。

 国文学者・暉峻康隆さんは、『暉峻康隆の季語辞典』(東京堂出版)のなかで、うすらひという言葉について、こんなふうに書いています。古くは『万葉集』巻二十のなかに「佐保川に凍り渡れるうすらひのうすき心をわが思はなくに」という歌が見られますが、佐保川が“凍り渡る”のはどう考えても初・中冬の景色でしょう。しかし、平安・鎌倉期の歌集ではうすらひを春の氷として歌う様子が見られます。以来、うすらひは冬の初めに張る氷なのか、あるいは春になって氷の厚さが薄くなったことをいうのか、二説に分かれました。昭和九年に高浜虚子が『新歳時記』のなかでうすらひを「春先、薄々と張る氷」、早春二月の季語として定めてからは、ほぼ「春の氷」説に落ち着いたそうです。

 その虚子の一句が「薄氷の草を離るる汀かな」、今の東川の眺めがまさに重なります。私が気に入っているのは、山口誓子のこの一句。「せりせりと薄氷杖のなすままに」杖で突くだけで容易に割れていく氷の様子を「せりせり」と表現する誓子の感覚に心が洗われます。それにしても春浅い二月、無心に薄い氷を割るこの人物は、氷の向う側に何を透かし見ているのでしょうか。入試の印象が重なる二月は、多くの大人たちにとって、懸命に前を向いて歩きだそうとするタイミングなのかも知れません。

 東川の川面に影を落とす桜の枝先には、まだ固く小さい冬芽が並んでいます。

桜の開花はまだまだ一ヶ月半も先のことですが、冬芽はやがて花や葉になる部分を寒さや乾燥から守りながら、その内側では春の準備が着々と進められているのでしょう。気象庁によると、東京地方の梅の開花が今年は1月29日、平年より一週間、昨年と比べれば三週間も遅い開花だったそうです。梅は“百花の魁(さきがけ)”と言われますが、所沢航空記念公園では、その梅に季節のバトンを渡すロウバイの花が、気高い香りを漂わせていました。

 「蠟梅や雪うち透かす枝の丈」芥川龍之介は『蠟梅』というごく短いエッセイの終わりに、この俳句を寄せています。枝先まで積もった雪の中から透けて見えるロウバイの花の色を詠んだのでしょう。蝋細工のようなロウバイの花びらの向う側には、もう春が透けて見えています。

開智所沢小学校  片岡 哲郎