学童・アフタースクール

 11月7日が立冬。この日を待っていたかのように、東京でも木枯らし1号が吹きました。「暦の上では…」という表現をよく耳にしますが、立冬はむしろ暦通りに、たとえ秋がどんなに短くなったとしても遠慮なく、寒さを運んでくるような気がします。“四季”という言葉を、いつまで私たちは使い続けることができるのでしょう。

 松尾芭蕉が、この時期の里の風景をこんなふうに描いています。「里古りて(ふりて)柿の木持たぬ家もなし」

古びた村には必ず、家々に柿の木があって、この時期になるといっせいに柿の実が深い朱色に色づく、そんなしみじみとした情景が浮かびます。そうした村では、例えばお嫁さんが嫁ぐときには実家の柿の枝を一本持ってきて、嫁ぎ先の家の柿の木に接ぎ木する、そうやってその家がますます栄えるようにと祈ったという話も伝わっています。柿の木は、その家を守る存在と考えられていたのでしょうか。

 それにしても、柿が熟れていく時の、あの朱色は本当に美しいと思います。柿の葉が一枚、また一枚と枝を離れるにつれて、残される実の朱色が濃くなっていくその様子は、何だかその木の生命力が全てその実に注がれているようで、しみじみとした風情が感じられます。“ふるさと”という言葉がこれほど似合う風景は他にありません。

  開智所沢キャンパスの正門横にも、柿の木が二本立っています。

10月のうちは、たくさんの実をつけていましたが、文化の日の連休が明けた11月5日の朝には、持ち主の方が収穫されたのでしょう、柿の実はすっかりなくなっていました。でも、よく見ると朝日を浴びて光っている柿の実が一つ、枝に残されていました。熟れすぎているということで、たまたま残されたのかも知れませんが、持ち主の方はおそらく意図してこの一つを残されたのだろうと私は思います。

 今でも「木守り柿」という風習が全国各地に見られます。木の梢に柿の実を一つ二つ、あえて取らずに残しておくこの風習は、次の年の豊作を願うとともに、おなかをすかせた野鳥たちへのおすそ分けの意味を持つとのこと。いつまでも大切にしたい、ゆかしい風習です。実際、ツグミ・ヒヨドリ・メジロ・ムクドリ等は柿の実を好んで啄みます。以前、私がたまたま目にしたあるブログに「巣立った雛がどうしても餌を取ることが出来ない時のために、親鳥は柿を一つだけ残す。」とありました。もしそれが本当なら、私たちが、柿の朱色にふるさとを感じるのも道理ですね。親の慈愛に見守られ、支えられながら、それとは知らずに子どもたちはふるさとを巣立っていくのです。

 翌日、その最後の柿の実はどこを探しても、もう見つけられませんでした。カラスあたりがくわえていったのか、あるいは熟し切った自らの重みに耐えられずに落ちたのかも知れません。でもここでは、神様がそっと手にされたのだとしておきましょう。

開智所沢小学校  片岡 哲郎