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Croquis No.23 ~初冬のギャラリーを巡る

「遠山に日の当たりたる枯野かな」(高浜虚子)

 

 立冬から3日経った11月10日の朝、昇降口付近から冬枯れが進む芝グラウンドを眺めて、思わず高浜虚子の代表句を思い出しました。この日は雲の多い空模様でしたが、雲の切れ間から陽が差し込んで、雪化粧した富士の山肌を輝かせていました。

冬の訪れとともに空気が澄んできたのでしょう、このところは通勤・通学の 武蔵野線の車窓からも、「おはよう」の声が響く昇降口からも、富士の姿を目にする朝が、多くなりました。

 

 この冬の初めに気づいたことがあります。昨年9月のこのブログで、私はこんな一文を寄せました。「秋に色づく様々な樹木のなかでも、桜紅葉の描き出す情感は格別だと、常々私は感じています。…しかし、近年は色づく前になぜか葉を落としてしまう桜の木が多いことを、ずっと訝しく思っておりました。…これもまた、夏の猛暑に原因があるのだとか。…地球温暖化のなかで桜紅葉という言葉が喪われていくのは忍びなく思います。」しかし今年、東川沿いの桜並木は昨年よりもしっかりとその葉を残し、赤や黄色、鮮烈な橙色や褪せた緑、湿気を含んだレンガ色が複雑に重なり合う、桜紅葉らしい景観を作り出しています。

 これまでずっと桜並木の近くの職場で教員生活を続けてきた私の経験では、桜紅葉は、色彩を失う直前に、枝に残る全ての葉に一斉に赤みが差したかのような、最後の鮮やかさを放つ一日があるのです。これは私がただ“そんなふうに感じる”だけのことですので、客観的な事実ではありませんが、長年にわたって桜紅葉の散る様を眺めて来た私の経験に根差した「内的現実」として語らせて下さい。秋のいのちが燃え尽きるその日、私は冬の訪れを受け容れます。

 

 もう一つ、この時期ならではの風景をご紹介します。

 それはこの、“赤いクヌギ”です。前回のブログでは、学校正門近くの坂の下のキンモクセイについて書きました。そのキンモクセイと道路を挟んで向かい合うのが、この大きなクヌギです。この木は、11月の今の時期だけ、その幹や枝が赤く染まるのです。よく見れば、幹にびっしりと巻き付いた蔦が、クヌギ自身よりも先に紅葉することで、この奇妙な風景が生まれています。緑の葉を荒々しく振りかざすかのような赤い幹は、ちょうど補色の関係ということもあってその異様さがいっそう際立ちますね。桜紅葉が繊細なタッチの風景画なら、こちらは大胆な抽象画を見るようです。初冬のギャラリーには、そんな印象的な風景が立ち並んでいます。

 

 日の入りがもっとも早い時期に差しかかってきました。放課後、部活動にいそしむ所沢中等の生徒さんの姿も、次第に黒いシルエットになっていきます。その向こうには、一日ずっと開智所沢を見守っていた富士の姿がありました。「十一月四日 天高く気澄む、夕暮に独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し。」(国木田独歩『武蔵野』より)

                                     開智所沢小学校 片岡哲郎