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Croquis No.5  ~うしろ姿の六月に

 6月21日、関東地方は平年より二週間も遅れての入梅となりました。長く読みにくい文章に打たれるたった一つの読点が、鮮やかに場面を転換することもありますが、私たちの実感ではもう5月のうちから、ひどく雨の降る日と、真夏を思わせる青空の日とが周期的に繰り返されていましたから、果たしてこの日が何かの節目であったかどうか、何とも心もとなく感じられます。

 日ごとに色を濃くする6月の深緑のなか、鮮やかな紅色を差すように咲いているのはタチアオイの花です。

この季節を代表する紫陽花が、降りつづく雨を受ける水の器であるなら、タチアオイは梅雨晴れの日にこそ似合う花でしょう。梅雨入りの頃に、まっすぐ伸びた花茎の下の方から咲き始めて梅雨に寄り添い、てっぺんの花を咲かせた時に梅雨が明けるのだとか。この写真を撮影したのは6月17日のことですから、タチアオイもまた遅すぎる入梅を待ちきれなかったのでしょうね。

 茨木のり子さんの『六月』という詩を、皆様ご存じかと思います。「どこかに美しい村はないか/一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒/鍬を立てかけ 籠を置き/男も女も大きなジョッキをかたむける/どこかに美しい街はないか/食べられる実をつけた街路樹が/どこまでも続き すみれいろした夕暮は/若者のやさしいさざめきで満ち満ちる/どこかに美しい人と人との力はないか/同じ時代をともに生きる/したしさとおかしさとそうして怒りが/鋭い力となって たちあらわれる」この詩が初めて朝日新聞に掲載されたのは太平洋戦争の終戦から11年を経た1956年のことでした。「美しい人と人との力」という言葉の意味するものは、戦争の体験と新生日本への希望を共有し、そしておそらくは、1954年に起こった第五福竜丸事件などに象徴されるような戦後世界の許し難い現実に対する共通の怒りをもった世代として、人間らしい暮らしを希求した茨木さんの、心からの叫びではないかと私は思います。終戦の翌年に20歳を迎えた茨木さんは、青春をまるごと戦争に塗りつぶされた世代です。そして現在もなお、ウクライナで、あるいはガザで、数えきれない子どもたち、若者たちがその未来を奪われ続けています。

 

 私たちの東所沢は緑の多い街です。時折、学校からの帰り道で「すみれいろした夕暮」を感じさせる光に出会うことがあります。「美しい人と人との力」を結集して美しい街をつくる、その街が若者のやさしいさざめきで満ち満ちる―そんな“懐かしい未来”を思い描きながら、うしろ姿となった6月を見送りたいと思います。

 ところざわサクラタウンの一角に、建築家・隈研吾さんがデザイン監修を担当したことで知られる武蔵野坐令和神社が鎮座しています。気が付かぬうちに、その社殿の前に茅の輪が立ちました。

6月30日は夏越の祓です。一年の上半期のツミ・ケカレを祓い清め、夏の暑さにも負けず息災に過ごせるように祈願する「茅の輪くぐり」で、各地の神社が賑わいをみせることでしょう。そしてこの日、一年の日めくりはちょうど半分の厚さになります。

開智所沢小学校  片岡 哲郎